会社をやめた後、少しだけ「フリーライター」としてお仕事を頂いた期間があった。
フリーライターとは読んで字のごとく、会社組織などに所属しないフリーランサーが、依頼に応じて記事を作成する仕事だ。
書く内容はその人の得意分野によって異なってくるのだが、筆者はスマートフォンを中心とするガジェットを担当した。
当時まわりから言われていたのは「好きな場所で仕事ができるんでしょ?スタバとかで、好きなだけ働けるのは羨ましい」ということ。
しかしなんとも推奨できない環境であったことか。いまここに書けるだけのことを記したい。
時給という概念がない
結論から言っておくと「フリーライター」という仕事は実家が裕福でもない限りお勧めはできない。
時給という概念がないため、いくら働いても 1 件あたりにしか報酬はもらえない。
しかも実績のない人であれば記事 1 件に対する報酬は 500 円いやそれ未満のことだってある。
それでいて商用レベルの内容が要求されるため書き直しは何度でもありうるし、編集者による編集が入ることもある。
「数をこなせばいい」と思われるかもしれないが 1 本の記事を作成するには時間がかかる。
1.どんな記事を書くかネタ出しをして先方に送る
2. 記事の方向性に関して打ち合わせが入る
3. 執筆にはいる
4. フィードバックと書き直しが入る
5. 納品する
この流れを全てこなし、はじめて数百円の報酬がもらえるわけだ。
1 時間で終わるはずもなく最低賃金の半分にも満たない。
あれ、「好きな場所」で「好きな時間」自由に働けるはずだったのでは??
あれは幻だったことに気がついたのだ。数をこなさなければ生活ができない。
ふつうにどこかでアルバイトしたほうが圧倒的に効率がいいことに気がついた。
なぜ単価が安いのか
ではなぜ単価が低いのか、それは簡単な話で「実績がないから」だそうだ。
20 年目のライターと 1 年目のライターの原稿料が同じであるわけがないのは重々承知していた。
それでも初心者ながらにブログをやっている筆者は、バズった記事がときに何万円という収益を生み出す仕組みをしっている。
逆に 20 年目のライターはつねに記事バズらせて、絶対に外さない超人並みの力を持っているのだろうか。
そうは思わない。1 年目のライターが興味をもつ分野がたまたま Google アルゴリズムにマッチしたらどうなるか。
それこそ 20 年目のライターを一時的にでも超える可能性は十分にあると思っている。
そう考えるとネット社会における年功序列の考えは時代錯誤すぎて、下積みから始める気にすらならなくなった。
この業界、稼ぐことが目的であれば必ずしも「プロ」である必要なんてない。
言いたいことも言えない・・・
筆者が「この仕事をやめよう」と確信したのは「メディアである中立性」を求められたことだった。
「ちょっと~側に寄りすぎている」とか逐一チェックが入るので、頭のなかに反町隆史のポイズンが何度流れたことだろうか。
だったら巷のレビュー記事なんて偏ったことが言えないではないか。
ならば自分でブログなり何なりメディアを立ち上げて、こうして書きたい時に書きたいことを書いたほうが 5,000 兆倍マシである。
簡単にフリーライターにはなってほしくない
フリーライターとは結局、だれかの人生を生きる仕事であって先方のスケジュールにすべて合わせなければならない。
そして割に合わず、なんなら途中で仕事を打ち切られても全く不思議ではない。
そんな仕事に 500 円なんかで自分を安売りするなんてとんでもない。
私たちの人生の時間は有限で、明日死ぬかもしれないのだ。本当にやりたいことをやったほうがいい。
フリーに転身する際「フリーライター」になる人が多いのは事実。だが安易に手を出すべきではない。
もちろん、それなりに人権のある条件、納得いく待遇であれば引き受ければいい。
そうでない限りはよほど仕事が好きでないかぎり身も心も疲弊するだろう。
もう吉本興行みたいな働き方はやめよう。ネットでどんどん自分を発信していけばいい。
そうして地道に築き上げた自分のメディアでこそ、真の自由が手に入ると思っている。
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