Galaxy Note 10 に対して「惜しいとおもう点」を書いていく記事の後編。
同じことを思っている人は少なからずいる気がしている。
①「エッヂ」ディスプレイの違和感
サムスンは旗艦モデルを湾曲ディスプレイで仕上げることは自明のことで、かれこれ 3 年くらい続いている。
ノートに至っては 2015 年 Galaxy Note 5 のフラット画面を最後に、Note 7 以降はすべて湾曲している。
(Note 5 はフラット画面を採用した最後のモデル)
(そして筆者が Note 史上もっとも美しいと思うのも Note 5 だ)
いまや自然の流れとなった湾曲だが「ペンを走らせるノートに採用を続けるのはいかがなものか」というのが本心だ。
とくに Note 8 は画面比率が変更されて縦長になったことで、ペンで書けるヨコスペースが心理的に狭くなった。
そこに湾曲ディスプレイが邪魔をして、さらに書けるスペースは狭くなった気がしていた。
(誰がどうみても細長すぎて、俳句でも書くくらいしかできなかった)
「ギッシリと書けるスペース」を確保することは、ムダな機能を追加するよりも大事だと筆者は考えている。
イヤホンジャックを甘く見すぎた
発表された Note 10 に対して世界の人はどんな感想をもったのか片っ端からみていったところ、
圧倒的におおくの人がイヤホンジャックの廃止にがっかりしているのだ。
Bluetooth ヘッドセットが流行する昨今、東南アジアなどでは有線イヤホン率がまだ圧倒的にたかい。
新たな機能を追加するよりも、イヤホンジャックを残したほうが Galaxy の哲学そしてをつらぬく意味でも共感が得られたのではないだろうか。
ただ流行っているから廃止するのではなく戦略的に残してほしかった。
最後に
あくまでも主観なので「ふーん」と読み流して頂ければ幸いだが、Note シリーズは機能を詰めすぎた気がしている。
ペンの Bluetooth ジェスチャーなどは技術的には確かにすごいのだろう。
しかしもはや苦し紛れに生み出した産物だと思うのも正直なところだ。
そうではなくて本当に書きやすいスペースは確保されているのか、ペンはおまけ程度になっていないか、湾曲ディスプレイは正解なのか、取捨選択すべきことがいくつもあると思っている。
機能がありすぎると、何を売りにしたいのかも見えなくなってくる。それどころか「ピンホールカメラ」など少し目立つところが「ダサい」と言われる始末だろう。
Note シリーズに限らず、そもそも初代はどうしてヒットしたのか初心に戻ったサムスンを見てみたい。
Twitter をフォローする!skyblue_1985jp